阿弥陀堂(あみだどう)の説明
みなさん、ようこそ阿弥陀堂にご参拝くださいました。
ここは阿弥陀堂という建物です。中央に阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏様を安置しているお堂だから「阿弥陀堂」と呼ぶ法要や儀式をおこなう場所です。
北海道から九州、沖縄の方も、ここに来て、手を合わせていますが、何かを得るために手を合わせているのではありません。心をちょっと落ち着けるためにお越しの方もおいでです。
お堂の中は少しひんやりした温度です。私が話すのをやめると、静寂があります。ある意味ここは、静寂を大切にしている場所です。
楽しいということも大切ですが、人生の中で静寂というのは大切です。
普段の生活の中で、自分自身のことを考えて、自分自身が発した言葉を考えることはあまりありません。多くの方は、この静寂を求めて、自分を振り返るために、この阿弥陀堂や隣の御影堂(ごえいどう)をお参りされます。
みなさんは高校3年生ですので、まもなく高校生活終盤にさしかかる大事な時期に、ここに来てくださいました。
正直、上山研修なんてどうでもいいと思っていた方もおいでだと思いますが、このお堂であったり、雰囲気だったりは、来てみないと分かりません。いくらホームページで見ても、実際に行って、目で見て、鼻で匂いを嗅いで、感じてみなければ、本当に分かるというものはありません。
ですから、ここに来ていただいたということが本当に大事なことなのです。
この阿弥陀堂の前方や上方を見ていただきますと、金色に光っています。ここにはすべて金箔が貼られています。
これを見ると、「お寺にはどれだけお金があるのだ」と言われることがありますが、お寺は決して豪華に見せるために金箔を貼っているのではありません。
阿弥陀如来の世界を表現するために、金箔を貼っているのです。
金色というのは、仏教にとってはとても大切な意味があります。その1つが「なにものにも妨げられない」という意味です。
「妨げられない」という言葉を漢字2文字で表すと「無限」ですね。
間違えてはいけないのは、「妨げられない」というのは、「誰かを蹴落として、自分だけが気持ち良くなろう」とか、「みんなを排除して、自分だけが幸せになろう」というものでは決してありません。
仏教における「妨げが無い」は「調和」といっても良いのかもしれません。
世の中にはいろんな人がいます。みなさんのクラスにも、誰ひとりとして同じ人はいませんよね。顔が似ている人がいたとしても、中身は全然違います。1つのクラスに30~40人くらいいると、なかには気に入らない人もいると思います。私にも気に入らない人は何人もいます。喧嘩する人だっています。
だけど、どれだけ嫌いでも、どれだけ合わない人とでも、同じ場所で、過ごしていかなければなりません。
では、「合わない」のは何が原因なのかということを考えていただきたいです。
自分の目の前の人が、自分にとって都合が悪いから、腹が立つのではないでしょうか?
こうしたことを教えてくれるのが、仏教の大事なところです。
先ほど話しましたが、阿弥陀堂というのは、金色で「妨げが無い」ことを表現しています。
「妨げが無い」ということは、決して喧嘩して勝つのように、勝ち負けという話ではなく、「自分が自分で満足する」ということです。
他の人と比べて、自分が劣っているなとか、自分のほうがマシだなとか、そういう「比べる世界」というのは、絶対に誰かを傷つけます。そして、自分のことも傷つけます。
比べてしまうことは仕方の無いことです。絶対に比べてしまいます。けれど、自分には自分の良いところが必ずあります。みなさん一人ひとりに絶対にあります。
自分の良いところを、比べる必要の無い自分として生きて欲しいというのが、この阿弥陀堂の金色だったり、肖像だったりがみなさんにお伝えしようとしているのです。
真宗大谷派 宗務所 教育部
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