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見真の日 10月の感話
「逃げる」ということ みなさんは、「逃げる」ということは悪いことだと思いますか?良いことだと思いますか? 私は人生の中で何度も「逃げる」ということをしてきました。でも、その結果、今私は「やりがい」や「生きがい」を感じることができています。今日はその「逃げる」という経験の中で、自分にとって大きな影響を与えたことについて話したいと思います。 私は小学5年生からハンドボールを始めました。当時は挑戦したことがないスポーツに出会って、とても楽しかったです。 高校に入学。私は当然のようにハンドボール部に入りました。しかし、高校ではたった2か月でハンドボールを辞めてしまいました。「他のことに興味が湧いて別のことをしたくなった」というのが、当時の私が考えた辞める理由です。ですが、今振り返ってみると、私が入学した学校はハンドボールの強豪校で、練習も厳しかったのですが、何より、自分よりうまい選手がたくさんいて活躍できなかったこと、すなわち劣等感を感じたことが辞めた理由でした。私は「挫折」と捉えたくないから、何か別の理由をつけてハンドボールから逃げたのです。 大学3年生。当時、就職活動をしていた私は、これと言ってやりたいことはなかったのですが、強いて言えば、外国語大学に通っていたこともあり、ひとまず語学力を活かして働ける企業の採用試験を受けました。選考が良いところまで進んだ企業もありましたが、結局落ち続けました。周りの友人が企業から内定通知をもらう中、本当にその会社に入社したいのかも分からずエントリーシートを書き、面接を受ける日々を繰り返し、就職活動を続けていました。最終的には3社から内定通知をもらい、そのうちの一つ、物流の会社に就職しました。 社会人1年目。とにかく仕事を覚えることに必死でした。 社会人2年目。なんだか自分のやりたいことと違う気がするし、毎日夜も遅くなり、終電を逃すこともしばしばありました。カタカタとパソコンを打つ毎日で、「本当にこれを続けてていいのか?」「本当にこれが自分のやりたいことなのか?」とモヤモヤする日々を送っていました。結局、私は勤めていた会社を2年で辞めました。 会社を辞める時、私は大学時代に諦めていた教員免許にもう一度挑戦してみようと思いました。そのために、私は通信制の大学で学び直しました。同い年の社会人は会社の中で4年目という中堅社員になっている頃。一方で私は、再び学生として2年間かけて教員免許を取得しました。今思い返せば、当時、他の同い年に比べたら、時間が止まっているような、人生を遠回りしているような感じでしたが、それでも焦りはなく、何とかしていける、と自分の中で感じていました。 27歳。私はたまたま求人で見かけた同朋高校に応募して、教員として採用していただきました。 私は今年で34歳。同朋高校8年目。大変なこともあるし、帰るのが遅くなることだってある。土日に仕事をすることだってあります。それでも、8年続けている自分がいます。生徒と一緒に何かを考えたり、他の先生と何かについて時間をかけて話し合うことは、刺激的です。最初に入社した会社で同じ業務を繰り返しこなしている時よりも、「何かを全うしている」、「自分の人生を生きている」という感じがしています。今思い返せば、あの時に「逃げる」という選択したことは間違っていなかったと胸を張って言うことができます。 何かを継続してやり続けることは大切です。でも途中で何かから逃げたい、と思うことはもちろん誰にだってあります。もし、今、みなさんが何かから逃げて別の道を選ぼうと思っているのなら、その時は、それは本当に自分がやりたいことなのか?自分を偽っていないか?と自問してみてください。逃げた先で、本当に自分が向き合える何かと出会って、それを継続してやり切ってください。私もやり切りたいと思います。 教員 T |
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本校は弘長2年(1262年)11月28日に入滅された宗祖親鸞聖人のご命日を縁として、毎月28日付近の1日を 「見真の日」 とし、有志生徒による勤行と学校長や教職員による法話・感話をおこなっています。
「見真」とは、大無量寿経に説かれる 「五眼讃」 の一句 「慧眼見真 能度彼岸(慧眼は真を見てよく彼岸に度す)」 を出典とし、真宗本廟(東本願寺)の御影堂正面に 「見真」の額が掲げられていること、また親鸞聖人の大師号 「見真大師」 に由来します。