| 目に見えない「苦しさ」
今日は、私が経験している「群発頭痛」という病気について、少しお話しさせてください。
群発頭痛は、私の場合2〜3年に一度の頻度である日突然やってきます。
「今年は来なくてよかったな」と安心する年もあれば、年が明けるたびに「今年は来るのかな」と、どこか不安を抱えながら過ごすこともあります。
一度群発頭痛が始まると、だいたい1カ月ほど、ほぼ毎日のように強い頭痛が起こります。右側の目の奥をえぐられるような激しい痛みで、市販の薬はまったく効きません。
寝てやり過ごすこともできず、ただ2時間ほど、痛みが過ぎるのを耐えて待つしかないのです。
痛みの最中は、「どうして自分がこんな思いをしなければいけないのか」とか、「生きていること自体がつらい」と感じてしまうこともあります。
しかも、やっと痛みが引いても、「また明日、同じ痛みが来るかもしれない」という恐怖があります。そんな不安を抱えながら、ただ時間が過ぎるのを待つしかありません。
とても辛い病気ではありますが、この経験が私に教えてくれたこともあります。それは、健康でいられることの尊さです。
以前の私は、何事もなく1日が始まり、何事もなく終わることを、どこか当たり前のように思っていました。
でも、痛みと向き合う時間を経験してからは、その「当たり前」の重みが、まったく違って感じられるようになりました。
朝、目を覚まして、「今日は痛くない」と分かった瞬間、思わずほっとします。
何も起きなかったこと。ただそれだけのことが、心からありがたいと感じられるようになりました。
そして、もう1つ大きな気づきがあります。
それは、見た目では分からない苦しさが、この世の中にはたくさんあるということです。
人はそれぞれ、言葉にできない痛みや悩みを抱えて、生きていると思います。
外から見れば普段通りに見えても、心や体の中では、必死に踏ん張っている人がたくさんいます。
そのつらさや重さは、どれだけ親しい人であっても、本人にしか分からないものだと思います。
私自身、痛みを経験したからこそ、「元気そうに見える」というだけで、その人が何の問題も抱えていないとは限らないと感じるようになりました。
表に出ない苦しさほど、周りからは気づかれにくく、理解されにくいものです。
だからこそ、目に見えない苦しさに対して、少しでも想像力を持つことが大切なんじゃないかなと思います。
すぐに答えや解決策を出せなくても、「何か事情があるのかもしれない」そう思って接すること。それだけで、救われる人もいるのではないでしょうか。
2カ月前、私は約1カ月間、この病気と向き合っていました。
幸い、今は発作もなく、不安のない日々を過ごせています。
ただ、この健康な時間が、いつまで続くのかは分かりません。
だからこそ、今、元気でいられるこの時間を、大切にしていきたいと思っています。
教員 A
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本校は弘長2年(1262年)11月28日に入滅された宗祖親鸞聖人のご命日を縁として、毎月28日付近の1日を 「見真の日」 とし、有志生徒による勤行と学校長や教職員による法話・感話をおこなっています。
「見真」とは、大無量寿経に説かれる 「五眼讃」 の一句 「慧眼見真 能度彼岸(慧眼は真を見てよく彼岸に度す)」 を出典とし、真宗本廟(東本願寺)の御影堂正面に 「見真」の額が掲げられていること、また親鸞聖人の大師号 「見真大師」 に由来します。
