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式辞・法話

報恩講法話

校長挨拶

同朋高等学校長 滝 敏行

中間テストの中日が終わりました。
みなさん、今のところの調子はどうでしょうか。

さて11月28日金曜日は、真宗を開かれた親鸞聖人の御命日です。
親鸞聖人は仏教について学び、人々が救われる道を探しました。
そんな親鸞聖人を慕って多くの人が集まりましたが、親鸞聖人はそれらの人々のことを、弟子とは呼びませんでした。
御嶽山の「御」に同朋高校の「同朋」で「おんどうぼう」と読みますが、集まった人々を「御同朋・御同行」と呼んで大切にしました。「ともに仏の教えを聞くなかま」という意味です。
同朋高校の「同朋」はここからきています。教員も生徒の皆さんも、ともに、生きることの意味、真理を探っていこうとする仲間、「同朋」です。素敵な名前の学校ですよね。

同朋高校は、「同朋和敬」「共なるいのちを生きる」を建学の理念としています。
同朋を敬い尊ぶ。一人ひとり、みんなが違っている。違っているから、皆が尊い。知っている人もいると思いますが、金子みすゞさんの詩に「私と小鳥と鈴と」があります。

私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速く走れない。

私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。

同朋高校では親鸞聖人の「教えを学ぶ」ということより親鸞聖人の「教えとともに学ぶ」「教えの中で学ぶ」ということをしています。
学校行事が大切にされるのも、こういったことから来ています。
2学期は文化祭がありました。普通科、商業科、音楽科と、学ぶことは違っても、どのクラスも同じように行事に参加し、競い合い、高めあいました。また同じクラスの中にも、絵が得意な人、勉強を頑張りたい人、行事に力を入れたい人、部活動に全力を注ぎたい人、さまざまいます。
お互いを大切にしながら生きていきたいですね。

その親鸞聖人の御命日を縁として勤まる法要が報恩講で、真宗では最も大切な仏事としています。
「講」は集まりです。「報」は「むくいる」、あるいは「こたえる」読みます。恩に感謝する、恩にこたえていくということです。
親鸞聖人の教えや、皆さんの周りにいる人々からの様々な恩や縁に感謝し、あらためて生きる意味、命について考えていく機会としたいです。

報恩講は、同朋高校でも毎年行っていますが、今年はちょっと特別です。
同朋と同じ真宗大谷派の学校は、北海道から九州まで全国にありますが、今年はその真宗大谷派の学校連合会が結成60周年ということで、京都近隣の学校は東本願寺に集まり、同朋のように離れた学校はリモートで繋いで、合同で報恩講を行います。初めてのことなのでうまく行くかどうかちょっと心配で、ドキドキしています。
真宗の教えについてだけでなく、全国の学校とのつながりを感じられるといいですね。

 

宗務総長挨拶

真宗大谷派宗務総長  木越 渉 様

みなさん こんにちは。

今回の合同報恩講は、親鸞聖人の心や精神を、創立の基本に据えている学校から、総勢2万5千人がオンラインで参加しているそうでございます。

親鸞聖人の言葉には、いろいろな言葉がありますけれども、何か一つを掴み、これを学校の普遍のテーマにしようとした学校の集まりが、この真宗大谷派学校連合会であり、今年で60年経つということであります。

親鸞聖人といえば、日本だけで有名なのではなく、たぶん世界で一番有名なお坊さんではないかと思います。
それは、「歎異抄」など親鸞聖人の書かれた教えが英訳されているというのが、一つの原因です。

その親鸞聖人にほれ込んだ2人の外国の方がいらっしゃいます。1人はフランス人、もう1人は北米の方です。
彼らは、親鸞聖人の書かれたものを勉強するだけではなく、今度はお坊さんになりたいと、本山である東本願寺に来られました。
お坊さんになるためには2回の大きな研修があるのですが、1回目の研修を終えて、来春2回目の研修に来られます。
その研修を通して、その北米の方はこうレポートに書いてくださいました。

“A seeker settles into their ignorance and realizes the preciousness of every moment.”
真実を求めて歩む者は、自らが愚かであるということに納得した。その瞬間、人生の一瞬一瞬が全部光って見えた。

この言葉は、親鸞聖人のことを言っているのですね。親鸞聖人は自らを「あぁ、愚かだ」といただかれた方なのです。
「あぁ、愚かだ」と頭を下げたところに、非常に広やかな世界を見出されたのが親鸞聖人なのだと外国の方は受け止められました。

“I pledge to encounter each being as Amida’s only child. ”
私は誓う。私の目の前のすべての人々が、阿弥陀様の子供なのだと。

このような出会い方を、私はしたいのだとも言われました。

親鸞聖人は、「存在」をどこまでも大事にされた方です。
好きか嫌いかを超えて、阿弥陀様がこの方を「めあて」として、自らの名前をくださったんだ。そういう存在が私たち一人一人なんだ。阿弥陀様が「自分の子供だ」「大事だ」と言ったその人を、自分が軽んじるわけにはいかない。
こういうことをですね、外国の方がおっしゃってくださいました。素晴らしいですね。
人を大事にする。目の前の人をどこまでもどこまでも大事にする。
そのことがですね、親鸞聖人を学ぶということにおいて、我々が注意すべき点かなと思います。

みなさんが在学されている間に、1つの言葉でもいいです。せっかくのご縁ですから、何か親鸞聖人の言葉を、生涯の宝としていけるような学びをしていただきたいです。

 

真宗大谷派学校連合会長挨拶

真宗大谷派学校連合会長 一楽 真 様

みなさん こんにちは。ようこそお参りくださいました。

先ほど宗務総長のご挨拶もありましたが、本日の報恩講には、関係学校の2万5千人の方が参加してくださってます。
この関係学校は全国に30ほどとして存在しておりますので、北は北海道から南は九州まで、合わせて2万5千人ほどの方が在学してくださっております。

1965年にこの真宗大谷派学校連合会ができたわけでありますけれども、その60周年を記念して何をしようかということを委員の方々と相談をしました。
今までは、たくさんテキストを出版してきましたし、大きなイベントをしたということもありました。
今年は60周年ということで、「ネットを使用した合同報恩講のお勤めするというのはどうだろうか」となりました。
本当のことを言えば、稚内大谷から九州の昭和学園まで、各学校の様子を映し出しながら、お互いに「どお?」とやりたかったのですが、それを実現させるとなると、それぞれの機材が大変だということが分かってきました。
そこで、近隣の学校には本山にお集まりいただき、遠方の学校はそれぞれ視聴してもらっています。
お聞きしますと、もうインフルエンザがいろんなところで流行っているようですね。学級閉鎖やら学校閉鎖で、今日の合同報恩講がちょっと難しいというような声も聞かせていただきました。
そのようなこともありますので、あとから見ていただけるような映像を残せればと思っております。

先ほど、宗務総長の挨拶にもありましたが、この真宗大谷派学校連合会は、親鸞聖人の教えを基盤に据えて、「何が大事か」「自分の人生どう生きて行くか」ということを考えてもらう学校から構成されており、みなさんはそこで学んでくださってます。
私たちは、どうしても「勝った・負けた」、あるいは「得した・損した」と考えることが多いですけれども、そんな物差しでは測れない世界にみなさんは触れていただいています。
大人になると、またいろんな物差しがどんどんどんどんやってきます。
今、世界で注目されている物差しは、「敵か・味方か」ですよね。
頭がいい人が科学力を駆使して、そして人を殺すようなものを作っていますが、これは本当に賢いといえるのでしょうか。
先ほど宗務総長のお話に、「人間の愚かさに気がついた人。それが親鸞だ」というお話がありました。
「自分は危ういかもしれない」ということを知っているのと、知らないのでは、生き方がだいぶ変わると思います。
その意味で、この関係学校に集ってくださったみなさんが、親鸞聖人のことを学んで、そして自分の生き方を深めていこうとする学びを進めてくださっているということを、私は大変喜んでいます。

今日はこの会場に300人の方に集まっていただきましたが、オンラインで参加されている2万5千人の方と一緒に、この親鸞聖人に縁のある学校で学んでいるということを考える機会とさせていただきたいと思って、この合同報恩講を催させていただきました。

本日はようこそお参りくださいました。