
同朋の進路合格体験記
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愛知教育大学 教育学部 教育支援専門職養成課程 心理コース 進学
普通科 Mさん
私の受験生活は高2の夏からスタートしました。進路を考え始めた頃は、関西地方のレベルの高い私立大学を志望していました。しかし、絶対ここに行きたい!という強い感情は無く、フワフワとした進路の考え方でした。
塾に通うようになり、覚えることが多い英語と古文を勉強し始めました。ソフトボール部に所属しており、学校のテストも手を抜かず両立させていました。受験勉強の方は、高2の学習平均時間が3時間だったので、まず3時間は確保しようと決めていました。そうしてだんだんと勉強の習慣がついていきました。
以前から担任の先生に三重大を勧められていたし、授業料が安いことを知っていたので国公立大も視野に入るようになりました。そうなると5教科7科目を勉強しなければならず、数学を避けたかった私は迷っていました。部活の先生にその事を言うと、「みんな同じ。みんながやらないって決めた事をやろうとする事に意味があるんだよ」と言われ、それが迷っていた私を一押しして高2の冬に私は志望校を国公立大に変えました。そしていろいろ考えてたくさん悩んで、愛知教育大学で学びたいと思うようになりました。
勉強する科目も増え、3年生からの生活は正直地獄でした。週5で塾に通うために、部活を早く切り上げ、帰ってからも予習と復習を欠かさずにやっていました。それでも結果が出ず、伸び悩んでいました。模試もずっとE判定だったし、簡単な問題を間違える日もあったし、何度か諦めようと思いました。11・12月はセンター試験の焦りと不安でいっぱいの毎日でしたが、親・クラスメイトの応援と、先生方の経験や「最後まで伸びる」の言葉を支えに頑張っていました。第一関門のセンター試験の結果はビミョー。いろいろ考えて、愛教大はダメ元で推薦を、国公立前期は愛教大を諦め、三重大に出願しました。合格発表の日、自分の番号を見つけた時は、もちろん嬉しさが大きく、受験が終わった解放感、達成感、寂しさなどいろんな感情が出てきました。
この1年半は長いようでとても短かったです。毎日のようにセンター8割9割の会話を聞いて自信を失い、参考書や授業料でお金は飛んでいき、重い重いリュックを背負い…。体力・精神力と戦う日々でした。しかし、苦手から逃げなかった、たくさんの人に出会えた、知識が増えた、良い影響を受けた、諦めなかった、これらが私が受験生活で得た誇りです。 -
愛知県立総合看護専門学校 進学
普通科 Tさん
私は幼い頃から看護師という職業に憧れていました。母が看護師として働いていたこともありますが、人のために尽くして支える仕事ってかっこいいなと感じていたからです。
そのため私は同朋高校に入学し、MPを受講しました。MPには同じ医療系に進みたいという夢を持った人達が集まります。仲間がいることが実感出来てとても心強かったです。1年生の頃から病院の見学・実習や赤十字の資格取得講習など医療について触れながら、本当に看護の道へ進みたいのか、看護師としてやっていけるのかと考えながら過ごしてきました。
その中で私は歴史が長く、卒業後の就職も自由に選択出来る愛知県立総合看護専門学校へ行きたいと強く思うようになりました。看護の専門学校の中では難関と言われており、受験はとても不安でした
が合格したい一心で努力しました。土特で鍛えた基礎力とMPでの経験は受験する上でとても大きかったと思います。また、勉強だけでなく学校行事や部活動にも力を入れました。両立は大変だったけれど、受験に必要なのは評定だけではありません。自分のやりたいことは全てやって何事にも全力で取り組むことが学校生活を楽しむ方法であり、夢を叶える道であると考えます。
私は晴れて県総看に合格し、通うことができます。これも周りの人の支えがあったからだと思っています。一緒に頑張ってきた部活の仲間、熱心に勉強を教えてくださった先生や受験前不安になっていた私を励ましてくれた友達など本当にいろんな人にパワーを貰いました。私は同朋高校での3年間を忘れず、人を癒し自分の行動に責任を持てる芯の強い看護師になるべく、これからも精進していきます。 -
愛知県立芸術大学 音楽学部 音楽科 声楽専攻 進学
音楽科 Mさん
第一志望に選んだのは国公立の芸術大学で、全国から志願者が集まる、私にとっては難易度が高すぎる学校でした。
「ダメで元々、やるだけやってみようかな」くらいの気持ちで選択したのですが、いろいろと勉強や練習をするにつれどんどん自信が無くなっていきました。専門的すぎる音楽理論、楽譜を書く速度が追いつかないソルフェージュ。どれをやってもいい成績だとは思えず、やればやるほど点数が下がっていく気がしていました。
しかも、センター試験では苦手な英語が必須になっていて、やる前から「やりたくない」と諦めかけていました。実技点のみを審査される推薦入試で落ちてしまったのも、その一助になってしまっていたのでしょう。
「どうせやっても落ちるだけ、これ以上やるだけ時間の無駄だ」・・・何度、そう思ったか分かりません。それなのに私が頑張ることが出来たのは先生方のお陰でした。学校を卒業してからも、毎週のように学校に通い、レッスンが終わっているのにも関わらず、歌やピアノ、音楽理論の指導をして頂きました。
先生方がいらっしゃらなければ、私は何をどうしたらいいのかも分からず、やる気すらも皆無で試験を受けるところだったでしょう。
これを読んでいる皆さんが、何に悩んでいるのか私には分かりません。進路に困っている方が大半かと思われます。「何をどうしたらいいのか分からない」、若しくは、「不安で仕方がない」、それは当たり前だと思います。それでもとりあえず先生に相談してみて下さい。物事に本気で向き合う事が出来なかった私が、受験という壁を越えられたのは先生のお力添えあってのことです。
きっと先生からは、何をしたらいいのかアドバイスを貰えるでしょう。それがどんな言葉であれ、とりあえずは鵜呑みにして実践してみて下さい。最終的にどうなるかは判りませんが、その後の過程でどうするかはあなた次第です。方向転換しても構いません。ただ、今、ガムシャラに突き進んでいけると思います。進む力があるのなら、私のように無理だと思っていることも叶うかもしれません。 -
ファミリア株式会社 就職
商業科 Hさん
私は高校生になる前から就職を考えていました。高校は商業科を選び,どんな職種にも就けるよう1年生の時から勉強やさまざまな検定の取得に力を入れてきました。2年次での課題研究ではビジネスコースを選び,ビジネスコースでしか取得できない検定や社会人になって相手に失礼のない言葉使い,所作等を学ぶことができました。
2年生の3学期に入ると就職活動が本格的になり,その時期から自分に合った職種を探すために,誰よりも多く求人票を見て,何度も進路相談室に足を運び居残りました。就職したい会社が見つかったのは3年生の1学期で,決めるのが1番遅かったと思います。
2学期が始まると履歴書を書き,面接練習が始まり…と、焦りがありました。文化祭が近づいていたこともあり,部活も夜まで残る日々が
続き,とても不安になっていました。その後は,実際に店舗まで足を運び,店舗の社員さんに直接話を聞きどのようにしたら合格し働くことができるのかを考え情報を得ることで自信をつけました。
試験本番も緊張しすぎずやりきることができ,面接本番ではそれまでの練習が活かされ予想外の質問にも慌てることなく受け答えすることができました。結果が出るまでの間はドキドキして気が気ではありませんでしたが,内定を頂いたという報告を先生から受けた時は,安堵と共に面接練習や相談に乗ってくれた先生や友人,親にたくさんの人たちに対する感謝の気持ちが湧き上がってきました。
これからもこの気持ちを忘れずに頑張って仕事に取り組んでいこうと思います。