卒業生の声

元英国柔道ナショナルチームコーチ 中野裕子さん (普通科2000年度卒業)

人に生かされ、そのつながりの中で成長

私の30年間を振り返ると、それは、柔道中心の、柔道馬鹿人生です。「柔道は今しかできないから、それに力を注げる高校に行きなさい。」―中学時代の担任のこの一言で、同朋高校を受験することを決めたのは、もう15年も前の事…。

夜明け前の始発電車に乗り、早朝練習では運動場を何周も走り、階段を駆け登り、少しペースが落ちると、先輩に追いかけられ…。その後授業に遅刻しないように、汗も引かぬまま、教室へダッシュ。授業が終われば、また道場へ直行して、投げたり投げられたり、締めたり締め落とされたり…。家に帰ればもう日は落ちており、また朝が来れば始発に乗る。

志望動機からもおわかりいただけるように、これが私の高校生活でした。これを充実した生活ととらえるか、練習と勉強に追われる日々ととらえるかは人それぞれですが、私にとっては、今でも思い出深き、楽しく活気に満ちた濃密な3年間だったのです。

何がそう思わせるのか、ふと考えてみると、すべてが新鮮で刺激的だったからだと思うのです。道場では、監督の指導を仰ぎ、仲間と切磋琢磨し、教室では、世の中の不思議と勉強をリンクさせて上手に教えてくださる先生方の説明に、興味を掻き立てられ、休憩時間になれば、クラスの友達から得る、柔道以外の発見にワクワクし…。常に心が動かされていました。

部活動でも、授業でも、私を指導してくださった先生方はみな情熱的で、生徒の意見や気持ちを尊重し、そのニーズに合わせて、ベストを尽くしてくださいました。大学入試に小論文が必要だった私に、一日一題を課し、毎日添削し、アドバイスしてくださったのは、今でもとてもありがたく思っています。

当時は、ただただ、自分のやりたいことに一心不乱にエネルギーを注いでいただけなのですが、それができたのは、先生方の多大なサポートや仲間たちからの刺激があったから、成し得たのだと、今振り返ってみて、つくづく感謝するのです。

高校卒業後、広島大学・大学院と進み、高校時代と変わらず、柔道と勉強、そして人との出会いを通して、学び多き日を過ごしました。大学院修了後はイギリスに渡り、今もなお、柔道を通して出会う人々から刺激を受けながら、マイペースに探求を続けています。30歳になる今も、何の保証もないのに、何の迷いもなく、心のときめく方へと進んでいく無鉄砲ぶりに、さすがに両親は気を揉んでいる事でしょうが、人に生かされ、その繋がりの中で成長させてもらう喜びを私に学ばせた、同朋高校のせいということにして、今日も畳の上に立ちます。

進む道に正解、不正解はありませんが、同朋高校進学を決めた15年前の選択に、我ながら、ハナマルをつけたいと思います。

同朋高校への進学を考えているみなさん、そこには、あなたの満ち溢れるエネルギーをサポートしてくれる環境があります。同朋高校で大いに心を動かし、人間磨きを楽しんでくださいね。

マジシャン 田中大貴さん (普通科2005年度卒業)

ターニングポイントは、同朋高校の3年間!

今、僕はイリュージョニストとして、日本国内や海外でマジックショーをする日々を送っています。同朋高校の普通科から大学へ入学しましたが、19歳の時「このままでは勉強もマジックも中途半端になってしまうのでは…」との思いがあり、大学を辞めてマジックに専念することを決意しました。親の反対や周りの声もありましたが、10歳の時からの夢を叶えるため、マジックに集中し自分磨きに専念しました。そして、今たくさんの方々の応援により、プロマジシャンとして、僕が10歳の時に受けた衝撃を伝えるため、マジックショーをしています。

僕の大きなターニングポイントは、同朋高校の3年間でした。僕がこの高校を志望したきっかけは、パンフレットや学校説明会での一人一人の個性を大事にしてくれるという所でした。在学中は、たくさんのいい先生と出会うことができました。その先生達は、イベントや私学のオータムフェスティバルで、僕にマジシャンとしてのステージを与えてくれました。また、同朋高校は、文化祭や卒業式などのイベントを大切にする学校で、その時の友達や先生達との楽しい思い出は今でも頭に焼き付いています。その時の経験や出会いが僕をつくってくれたと思います。

在学中は、勉強の合間を縫って、もちろんマジックに集中していました。3年間海外のたくさんのマジック大会にもチャレンジしました。その時、英語の進行表を先生が仕事の合間を縫って作ってくれ、いろいろとアドバイスももらいました。そのおかげもあり、マジックの国際大会でたくさんの賞を頂くことができました。

同朋高校は一人一人の個性を大事にしてくれる学校です。僕はたまたまマジシャンという夢があり、同朋高校に入学しましたが、高校生活や自由選択講座で、新しい夢を見つけることができるかもしれません。そして、その夢を先生達は全力で応援してくれることでしょう。

名古屋造形大学講師 三輪布巳子さん (普通科2000年度卒業)

暇さえあればマンガを描いていた私がマンガを生かした仕事に

私は現在、同朋高校の併設校である名古屋造形大学のマンガコースで講師をしています。大学院生時、集英社コバルト文庫で挿絵を描いた時に、新設のマンガコースのアルバイトの話をいただいてから現在に至ります。

私は高校時代から大好きだったマンガを暇さえあれば一日中描いていました。大学3年生の時、教授に抜き打ちで「休み中、制作した物を提出しなさい」と言われたとき、恥ずかしげもなく自費出版のマンガ20冊を先生に提出。今思えばあの時の自分を穴に埋めたいほどの恥ずかしさですが、先生は「これを大きな絵で描いたらいいんじゃない?」と、こともなげに言われました。そのときから洋画の実技中もマンガを描き、自身のWebサイトを作り、年間数十冊のマンガ冊子を作り、ついには卒業制作ではマンガイラストで畳2畳分の絵を描きました。現在は洋画とマンガ、それぞれの表現方法を活かしマンガアートの展示会を開いたりしています。

そんな自信を持って行動するようになったのは、同朋高校に通うようになってからです。暇さえあればふざけたことばかりしていた私は、唯一絵を描くことにだけ集中力があり、そんな私を見た父が美術大学を勧め、名古屋造形大学を併設校にもつ同朋高校を探してくれたのが始まりです。入学後、私の人生を変えた第一歩が、1年生の担任の先生に「クラス委員長をやってみないか?」と誘われたことでした。その頃までの私は自由奔放でクラス有数のうるささに定評があり、中学時代を知る人からしたらクラス代表なんてとんでもない生徒だったと思います。

しかし、その転機が他人との関わり方や考え方を学ぶ機会となり、生徒会の会長までさせてもらいました。もう一つ、受験対策のデッサン実習で兄のように親身になって教えてくれた先生、親のように進路を考えてくれた先生方の存在は大きく、美術受験に特化した実習の存在は、井の中の蛙だった自分を、時に差を知る悔しさを、時に努力の大切さを感じさせてくれ、それがデッサンや評価に現れることのうれしさへとつながっていきました。

あの時を同朋高校で過ごしていなかったら今の充実した学びある場所にはいなかったでしょう。同朋高校は生徒一人一人の人格を大切にしてくれる学校です。ぜひ学校公開日等でその雰囲気を体感して下さい。

弁護士 浅野康平さん (普通科2001年度卒業)

弁護士の基礎を養ってくれた同朋の校風

僕が同朋高校に入ったのは、中学校の時不登校だったことで他に受け入れてくれるところが無かったからというのが正直な理由です。不登校だった僕は、同朋に入るまで、学校というものに対して否定的な感情しかありませんでした。

しかし、同朋では非常に充実し、楽しい3年間を過ごすことが出来ました。

というのも、同朋は自由な校風で、生徒の自主性を重視してくれる高校だったからです。それも、単なる放置とは異なります。どの先生も、生徒に真剣に向き合ってくださいました。例えば、文化祭では生徒が何かを「やりたい!」と希望すれば、学校側の考えを押し付けるなどということは無く、実現可能な限り許してくれました。1年生の頃に皆で「天使の羽の生えたゼロ戦」を夜遅くまで作ったのはいい思い出です。

僕は今、弁護士となりましたが、弁護士は「自由と正義」を目標に、枠にはめられた考えをすることは許されません。弁護士となったのも、同朋で枠にはめられない教育を受けたことと、同朋の自由な校風が弁護士となる基礎を養ってくれたからだと思っています。

プロバスケットボール選手 原田直哉さん (商業科2001年度卒業)

現在、厳しい環境の中、トップリーグでプレー中!

私は同朋高校を卒業してから、立命館大学へ進学し、4年間学業とバスケットボールに打ち込み、現在は、愛知県の尾張地区に本拠地を置く豊田合成株式会社に勤務しながら、日本のトップリーグに所属する会社のバスケットボール選手として活動を続けています。

今の会社に就職した理由としては、以下の2つでした。

①生まれ育った地元の企業であり、今までお世話になった地元の方々へ何かを通じて恩返しが出来ること。

②クラブ活動にも熱心な企業で、バスケットボール選手を続けられること。

現在は、安全健康推進部という部署に所属し、労災保険の申請や、設備の事前届出等、官庁への申請業務を担当する一方、バスケットボール選手として、就業後に練習を行い、週末に試合で全国を転々とするという充実した日々を送っています。仕事優先なので、仕事の免除がほとんどありませんが、この厳しい環境の中、全力プレーで戦い、試合で勝った時の喜びは格別です。

同朋高校に入学する前は、正直バスケットボール部に入部するつもりはありませんでしたが、体験入学でのバスケットボール講座がきっかけとなり、入学・入部を決断しました。入学したばかりの頃は部活動の練習が大変で、学業が疎かになった時期があり、よく先生に怒られた事を今でも覚えています。しかし、怒るだけでなく、個別で色々なアドバイスを頂き、卒業する頃には学業と部活動を両立出来るまでに成長出来ました。

同朋高校へ進学を考えている皆さん。同朋高校ではひとりひとりの個性を大事にしながら、自分のやりたい事を思いっきりやらせてくれる環境があります。また、どんな大きな壁に当たってもそれを全面的にサポートしてくれる先生、仲間達がたくさんいます。無限の可能性を秘めた同朋高校で3年間学んでみませんか。

電力会社 黒木彩恵さん (商業科2009年度卒業)

同朋で自信に満ち溢れた高校生活を!

私は高校卒業後、短大へ進学し、その後電力会社に入社しました。仕事は主に、お客様の電話応対や、窓口の受付業務をしています。

短大へ進学したきっかけは、高校での資格取得の挑戦でした。先生方の熱心なご指導のおかげで、学ぶ楽しさ、挑戦する意欲が養われ、自分に自信がつくとともに、ステータスにも繋がると考えたからです。今では数々の資格が取得でき、導いてくださった先生方に大変感謝しています。

高校生活では、クラス委員長や生徒会にも挑戦し、文化祭など様々な事に取り組みました。委員会は普通科、音楽科と一緒なので、多くの友達もでき、先生との距離も縮まり、楽しい時間を送る事ができました。

まだ将来どんな仕事に就きたいか漠然としている皆さんも、商業科で学び、積極的に挑戦しながら、自信に満ち溢れた高校生活を同朋で過ごしてみませんか?先生方はもちろん卒業生も皆さんを応援しています。

鉄道会社 永田稔将さん (商業科2012年度卒業)

1級合格で“5冠”(全商)を達成!

私は野球部に入部したくて同朋高校を選び、さらに多くの検定取得ができるという話を聞き商業科を志望しました。検定科目は中学まで勉強したことがない「0」からのスタート。大変さと新鮮さを半分ずつ感じていました。また、「勉強」というと一人でコツコツ取り組むイメージですが、「クラス全員で検定試験に合格する」という目標に向かって、わからない部分を友達同士で教え合えるのが検定試験の楽しい所です。一番辛かったのは、簿記検定の1級。内容が難しく部活動の合間をぬって補習などに取り組みました。この3年間は人生の中で一番というくらい勉強し、卒業までに5種目の1級を取得できました。

野球部副主将として部活動に取り組みながら、こんなにたくさんの検定取得ができたのも、お互いに勉強を教え合えたこと、先生方の熱心な指導のおかげだと思っています。

東京藝術大学 中村元優さん (音楽科2012年度卒業)

とても充実した音楽科の3年間

中学生の時に始めたコントラバスの演奏技術を向上させ、より深く音楽を知りたいとの思いで同朋高校に入学することを決めました。レッスンや様々な授業を受ける度に、音楽家として必要なスキルや知識がどんどん自分の中にたまっていくのを感じました。

受験生になり、先生方が東京の国立の音大を受けるたらどうかと勧めてくださいました。最初は、自分が受かるはずはないと迷いましたが、自分の可能性を信じ、やれるだけやってみようと思い、がんばることを決めました。

しかし、受験に向けた戦いは予想以上に大変でした。専攻実技が優先されるので、勝ち抜けるだけの実力をつける必要がありました。専攻の先生に東京の受験大学の教授を紹介してもらい、月に1回3時間のレッスンを受けに行きました。また、センター試験の勉強にも苦労しました。自分で進んで勉強しないと全然必要なレベルに達することができません。とにかく時間があれば勉強しました。学校では、APや進学補習などで先生方に丁寧に教えていただきました。ソルフェージュや楽典等の専門教科も先生方にサポートしていただきました。同朋高校の先生方がいなければ、ここまで成長できなかったと思います。

私は、無事合格を決めることができました。応援して下さった全ての人に感謝したいと思います。そして、勉強だけでなくたくさんのことを学ぶことができ、とても充実した音楽科での3年間だったと思っています。